【前世療法事例】あなたは無能なのではない。もう二度と「大切なものを失いたくない」だけ…なのだ!

前世療法事例

努力もできない自分は生きる価値などない

「何事もやる気が起きなくて、動けないんです…」


「自助努力すらできない自分は生きる価値などないと…」
「もう、頑張れないんです。何もしたくない。こんな自分、情けなくて……」

29歳の会社員Tさんは、心の奥の何かを絞り出すように話しだしてくれました。
(現在は鬱症状があるとのことで、休職中)


彼は、ずっと何かと戦ってきました。
「もっとできるはずだ」「努力しない奴は価値がない」という、社会や自分の中に作り上げた理想と。
けれど、今の彼は、まるですべての火が消えてしまったかのように、動くことができません。

そんな自分を、彼は「甘えだ」と責めていました。自分だけでなく、周囲で手を抜いている人を見ても、胸がざわつき、激しい嫌悪感が湧いてくる。
「自分も動けないくせに、人のことまで許せないなんて。僕、本当におかしいですよね」と。

彼を最も苦しめていたのは、外からの批判ではなく、 「自分は甘えている」「情けない」「努力もできないダメなやつだ」というものでした。
自分の中にいるその裁判官は、24時間体制で彼を監視し、判決を下し続けているようでした。

興味深いのは、彼が自分を罰するのと同時に、周囲の「要領よく手を抜く人」に対しても、殺意に近いほどの激しい怒りを抱いていたことです。 「自分もできていないのに、他人の手抜きが許せない。そんな自分が本当に嫌いだ」と。

「原因論」と「目的論」

心理学の3大巨頭のひとりであるユングとアドラーは、ヒプノセラピー(前世療法)をするうえでも、必要な知識の一つです。

一つは、ユングの「原因論」
今の苦しみの根っこは、深い意識の底にある「かつての記憶」にあるという視点です。

もう一つは、アドラーの「目的論」
これは少し意外に聞こえるかもしれませんが、「人は、ある目的を達成するために、あえて今の悩みを作り出している」と考える視点です。

ユングは、今の苦しみには原因があり、それは深い意識の底にあるかもしれない、と。
アドラーは、ある「目的」を果たすために、今の状態をあえて選んでいるのだ、と。

多くの場合、この二つは対立するものとして語られますが、前世療法という「魂の旅」において、これらは一つの円を描くように融合すると思っています。

Tさんの「無気力」をアドラーの眼鏡で覗いてみると、前世はなんとなく見えてきます。
彼は、決して「やる気が出ない」のではありません。むしろ、「やる気を出さないこと」によって、ある決定的な事態を回避するという強固な目的を果たしているのではないか?
その目的とは、「全力を尽くした結果、失敗して、自分の無能さが証明されてしまうことから自分を守る」ことなのではないか?

もし、彼が死ぬ気で努力して、それでも人生が好転しなかったら?その時、彼は「自分には生きている価値さえない」という究極の絶望と対面しなければなりません。けれど、「無気力で、何もしていない」という状態を維持していれば、「本気を出していないだけだ。本気を出せばできるんだ」という『可能性の全能感』の中に逃げ込むことができます。

そんなことを仮定、予測することは、セラピストにとっては、クライアントの魂が凍りついた「場所」を特定するための羅針盤を持つようなものです。

きっと彼の魂は、自分を責めることで、実は自分を守っている。だとしたら、そのバリアを築かなければならなかった「本当の痛み」が、過去のどこかに眠っているはず。

では、いつどこでそのような体験をしたのか?というユング的アプローチを用いて、私とTさんは、彼の潜在意識の分厚い扉を開き、「原因」としての前世の記憶へと潜っていきました。

完璧という名の檻に閉じ込められたリーダー

前世の扉を開きTさんがたどり着いたのは、色彩を失ったような極寒の地でした。そこには、かつての彼である「部族の若きリーダー」が立っていました。

狼なのか熊なのか?の毛皮を纏い、背筋をピンと伸ばした彼の姿は逞しく、一点の隙もありません。彼は類まれな予見能力を持ち、風の音から獲物の居場所を、雲の動きから嵐の到来を完璧に言い当てる「山の眼」として、民に崇められていました。
渡り鳥の飛ぶ高さで冬の深さを知り、雪の下を流れる水の音から春の訪れを予見する。部族の誰もが、彼の「正しさ」を疑いませんでした。

けれど、その有能さは、彼を「完璧でなければならない」という孤独な檻に閉じ込めていました。

「私が間違えれば、皆が死ぬ」
「完璧でなければいけない、気を緩めてはいけない」
幼い頃から「感情は生存の邪魔になる」と父親に教え込まれてきました。
(できないと泣く彼を、年老いた祖父がいつも抱きしめてくれていました)

その強迫観念が、彼から「人間らしさ」を奪っていました。

大飢饉が襲ったとき、彼は自分を削り、不眠不休で対策を練り、一粒の麦の配分まで厳格に冷静に管理しました。

ある日、一人の若い母親が、空腹で泣き叫ぶ我が子を抱え、彼のもとへやってきました。彼女は、食料が欲しいと言ったのではありません。ただ、絶望の中で「怖い」と言って、リーダーである彼の腕に縋り付こうとしたのです。

けれど、彼はその手を冷たく振り払いました。 「泣いても腹は膨れない。持ち場に戻って、体力を温存しろ」。(心の中では、弱いものはいらぬ!と思っていた)

彼は「正しさ(成果)」で救おうとするあまり、目の前の人間が最も欲していた「体温(共感)」を、弱さとして切り捨ててしまったのです。

彼は「正しさ」で民を救おうと必死でした。けれど、彼が「正解」を求めれば求めるほど、民の心は彼から離れ、集落には距離が生まれ、沈黙だけが流れるようになりました。

そして、最期は残酷でした。 彼の完璧な計画も、大自然の前では無力でした。
民は去り、彼は一人、廃墟となった村で息を引き取りました。

「全力で戦って、それでも誰も守れず、繋がりさえ失うのなら、最初から何もしないほうがいい。能力を持つことは、絶望を招く呪いだ」

この「敗北感」と「無力感」こそが、時を超え、現代のTさんに「最初から戦わない(無気力)」という目的を選ばせていた本当の原因だったのです。

魂や思考の癖を解放する

私は前世の彼に問いかけました。 「リーダーとしてではなく、一人の人間として、本当はどうしたかった?」

その瞬間、Tさんの体から、ダムが決壊したような嗚咽が漏れました。

「……ただ、みんなと一緒にいたかった。焚き火を囲んで、どうでもいい話をして、一緒に笑い転げたかった。みんなの隣に座って、その悲しみを聞いてあげられる人になりたかった。本当に欲しかったのは、みんなを守る力じゃない。ただの、温もりでした……」

彼は、いちばん欲していた「繋がり」「温もり」を自ら断ち切っていたことに気づきました。

Tさんは、彼がいちばん嫌っていた「弱さ」の中にこそ、救いがあったと言いました。

彼が「甘え」と呼んで嫌悪していたもの。それは、例えばこんなことでした。

  • 「お腹が空いたね」「寒いね」と、解決策がなくても、どうしようもなくても言い合えること。
  • 道に迷ったとき、「わからない。一緒に考えてほしい」と誰かの手を借りること。
  • 一日の終わりに、「今日は何もできなかったけれど、それでいいんだ」と自分に笑いかけること。

これらは、かつての彼が「部族を救うため」に切り捨ててしまった、人間としての「余白」のようなものです。
けれど、この余白こそが、人と人とを繋ぐ「結び目」のような役割を果たしていたのです。


アドラーが言うように、彼は「無能だと思われない」という目的のために、引きこもり無気力でいることを、無意識に積極的に選んでいました。
けれど、前世の自分の思いを理解し、自分を許すことでその目的は必要なくなります。
なぜなら「何かができるから価値がある」「能力があるやつだけが生きていていい」「弱いものを守れない自分はダメなやつだ」なんてことはないからです。
そんな世の中なら、こっちからお断りなわけです!

私は前世の彼に言いました。
無能さ、有能さ、強さ、弱さがテーマになると、いつもこのセリフを使わせていただいています。
(TBSドラマ『聖者の行進』(脚本:野島 伸司)で、老いぼれ弁護士(宇野 淳市)演じたいかりや長介さんのセリフ)

(この時に、彼がいちばん尊敬している人(前世の祖父で、現在の父でした)をイメージしてもらい、私が代わりに伝えています。)


よく頑張ってきた。私はずっと見ていたよ。
私が今伝えたいことはね、誰もが強くなることはないということですよ。
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。
狼や熊の毛皮を纏っていてもね、わたしたちはみんな弱いのだから。
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする。
強くなるということは鈍くなるということなんです。
痛みに鈍感になるということなんです。
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる。
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。
痛みに鈍感になり優しさを失う。
覚えていますね、あなたを頼ってきた若い母親のことを。
いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…。
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしく、あなたが目指していた世界でしょう?

彼が大好きだった祖父によって、Tさんの背負っていた「有能さ」という重い鎧が音を立てて崩れ落ちました。
氷のように冷たかった彼の世界に、春の陽だまりのような温かさが広がっていきます。
祖父の声は、時を超え、次元を超え、今のTさんの細胞ひとつひとつに染み渡っていくようでした。かつて、飢饉のなかで母親の手を振り払ってしまった自分、無力で冷酷な自分を呪い、その罪滅ぼしのように「強さ」に執着し続けてきた長い旅が、ようやく終わろうとしていました。

「……おじいちゃん、俺、寂しかった。一人で頑張るのが、本当は一番怖かったんだ」

Tさんは子供のように泣きました。それは、29年間の人生の涙であると同時に、数千年の間、極北の果てで凍りついていた魂がようやく解け出した証でもありました。

人は、自分を「強い」と錯覚したとき、本当の意味での繋がりを失うことを、このセッションとTさんによって教えていただきました。

セッションを終え、目を開けたTさんの瞳は、最初のときとは別人のように、柔らかく、深い光を放っていました。

「不思議です。あんなに自分を責めて、死に物狂いで『何者か』になろうとしていたのに。弱いままでいい、何の役にも立たなくていいと心から思えた途端、なんだか体の芯から力が湧いてくるんです。……今なら、父親にも笑顔でありがとうって言えそうな気がします。こんな自分なのに父親はいつも普通でいてくれるんですよ。腫物を触るような接し方というのかな?そういうことを全然しないんです。仕事もやめたいのならやめたらいい、頑張りたいなら頑張ってみたらいいって。大丈夫だって(泣)。あのおじいちゃんも、いつも大丈夫だって言っていた(号泣)…」

Tさんはそう話してくれました。

ユングの手法で探った「原因」が、アドラーの指し示した「目的」を昇華させ、最後にはすべてが「愛」というひとつの円の中に溶けていく。 前世療法という旅が教えてくれるのは、私たちがどれほど遠回りをしても、最後には必ず「ありのままの自分」という温かな居場所へ帰れる、ということです。

私たちはただ、握りしめていた「強さ」という名の石を手放せばいい。
手放した瞬間に空いたその掌に、本当の繋がりが、誰かの温かな手が、滑り込んでくるのだから。

Tさんは今、一歩ずつ、新しい人生を歩み始めています。今まで「部族を救うヒーロー」を目指していたことに気づき、自分の中の「弱さ」の本当の意味を知ることで、彼の体には自然なエネルギーが戻ってきた、と連絡がありました。
朝も起きれるようになり、狭かった視野も広がっていったそうです。

自分の痛みや弱さに敏感になれた彼は、きっとこれから、誰よりも優しい「自分の人生のリーダー」になっていくはずです。 力でねじ伏せる強さではなく、弱さを分かち合えるリーダーに。

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