私は以前、こんな前世を思い出したことがあります。
中東のような風景、砂漠のような砂っぽさ。
上半身裸の少年の私は、背の高い、優しい父と暮らしています。
13歳頃、私は、頭と膝を抱え泣きじゃくる同級生を見下ろしています。
4人くらいで、その同級生の男の子をいじめている様子です。
「なんて、惨めな姿だ」
その子を見ながら、段々胸が苦しくなります。
「これは…これは、私だ…、私の姿だ」
それがきっかけとなり、哲学の道に没頭し、その後アカデミアで哲学を教えています。
ずっと哲学を追い求め、人の心の仕組みに関する書物も残しましたが、時代の流れでしょうか…私の専攻していた学派は段々と廃れていき、書物も埋もれていき、何も残せないまま亡くなりました。
前世療法の真意
前世療法を誤解されている方は、ここで「だから今世でも哲学が好きなんだ」とか、「教えることも仕事にしているのは、前世でもやっていたからか」と単純に捉えてしまうのですが、前世療法の真意は少し違います。
その人生はとても淡々としていて、客観的に人間観察をよくしていました。
そのせいか、前世の自分は友人もいないようでした。
この現象世界の現実(もちろん前世も含め)に投影された人生は、「人の心の仕組みを知りたい」と、歩んだものでしたが、あまり満足をしていませんでした。
「人の心の仕組み」がどうやったらわかるのか?
どのような構造になっているのか?
という事ばかりを論じ、
人の心の仕組みが「わかった人」として生きてはいなかったのです
そこに気づきながらも、頭を抱え考えて、人との交流を怠り、やっている気になって座り込んでいた自分に不満を感じていたようです。
2000年ほど前に生きた、哲学者でありながらローマ皇帝だったマルクスアウレリウスもこう言っています。
マルクスアウレリウスは、ドラマだけでなく映画にもなった田村由美さんの人気漫画「ミステリと言う勿れ」の主人公「久能整」が、事件の謎を解く手掛かりとしてローマ皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの著作である「自省録」が登場するのです!
善い人間になる方法を論じるのはもうやめにして、
善い人間になったらどうだ
この前世の情報を、なぜ今思い出す必要があったのか?というと、これは夜寝ている時に見ている夢と同じで「あなたがこの地球で、人間としてそれを探求するために、ここ!忘れないで」といった警告や伝言のようなものだと思います。
この前世では、
自分はすべてを知った
つもりで生きていたが
何一つ
体現していなかった
のです。まさに机上の空論…
では、体現するためにはどうしたらいいのか?
というと…
- 本ばかり読んでいて、大事な真理を見失うことがないようにすること。
- 一つの事、一つの方向にばかり集中しすぎては、周りが見えなくなってしまう。
下ばかり見ず、ちゃんと顔を上げ、周囲の「人と関わり実践する」こと。 - 一つの事に集中することは、大きな力となるが、それが過信や慢心に繋がってしまうから、「謙虚に生きること」を忘れるな!
そうすれば、自ずと人の心の仕組みが手に取るようにわかるだろう。
と、超意識が私に伝えてきたのです。
いや本当は…自分の中で答えはわかっていたのでしょう。
ちなみに、前世や夢を顕在化する意識にアクセスするネットワーク(神経網)ができると、簡単に前世を思い出したり、夢からのメッセージを解析することができるようになります(神経網は比較的簡単に繋げられます)。
ただ概念に縛られていると、霊的に強いストレスがかかっている状態なので、多次元的に神経網を広げることができなくなってしまいます。
この世界で生きていくには困らないけど、無意識的な感性は使いづらくなり、夢や明晰夢、前世というのが見えづらくなってしまいます。
それの何が困るというのでしょうか?
実際過去世など知らなくても、幸せに生きている人は世の中に溢れています。
その点については、また今度(^^)/
お読みいただきありがとうございました★
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